自己を表現するということ

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代表の藤江です。

最近、ありがたいことではありますが、メディアなどの取材や話す機会を頂き、同じことを何度も話しているので、このブログ読んでください、とできるようにブログを書きます(長いです)。

最近多い質問がこちらです。

「なぜいくつもの地域活動や環境に対するアクションができるんですか?」

結論から述べれば、「人生の進む道がめちゃクリア」だからです。

僕は芸術家でもデザイナーでもなければ、アスリートでもない。ダンサーやミュージシャンでもない。でも、アーティスト(表現者)ではありたいと思っている。
※過去に書いた以下の記事も参考に

幸いと言って良いのだと思うが、振り返ると僕は少年時代から今まで、自分と向き合う機会、向き合わないければならない機会がとても多かった。その理由はいくつかあって、いつかは語れる時も来るかもしれないが、今は全てをまだ書くことはできない。

その中でも今書けることとして前にも書いたけれど、僕はあまりお金を持ってなかった。

だから、例えば青春時代にナイキの靴が流行っていた時とか、みんなが持っている物を持てなかった。大学生活もお金がなかったので、古着しか着てなかった。物や着飾ることで自己を表現するということができなかったので、思春期にモテたいとか、カッコよくなりたいという想いもある中で、どう自分を表現していくかについて、必然的に考えることができていたし、人と違う行動をすることについて慣れていたのかもしれない。

それと反骨精神が養われた。
大学時代も奨学金とバイトでほぼやりくりし、サークルや部活に時間とお金を使うことができず、周囲のバイトもせず仕送りだけで過ごしている人を見ては「今に見てろ」ってずっと思っていた。

ただ、お金がそんなに無くても十分に幸せな人生を送れることはすでに大学生の頃から悟っていた。家族関係や友人関係がとても良好だったというのが大きい。今に見てろっていうのは、今もそうなんだけど、「死ぬ時に笑うのは俺だ」って感覚なんですよね(笑)
実際、僕はいつ死んでも後悔はない生き方をしています。

男だと力を示すことや、ビックになりたい、良い車を持ちたい、目立ちたいみたいな欲求って動物学的本能としても結構あると思うんですが、結果として力を持つことや、目立ってしまうことは”仕方ない”けど、僕は30歳くらいからそれらの欲求はほぼなくなった(全くないわけではないけどかなり低い欲求)。これは年齢的に普通か(笑)?

今はできれば目立ちたくない。できればマスメディア等で自分を公に露出したくない。だからそこまで人脈とか気にしてないし、なんとなくの繋がりも求めていない。群れるの苦手。名刺交換が好きではない。でも結果として目立つとか、単なる消費材ではなく志を共有している方の取材とか、志を共にする方と出会えそうだとか、事業のためとか、それが何かの役に立つのであれば、という形で整理しながら受け入れたりしている。

ブログやSNSも自己表現の場と位置付けている。
ここで書いている代表ブログも別にページビュー数を増やしたいとか、SNSのフォロワーを増やしたい、はない。結果として良い。あくまで自己表現の場、自分の考えの整理の場、もしくは今回のように何度も聞かれることを予めまとめるツール。そして志を共にする人と出会う場(これメインだな)、少しだけこれを読んだ方の役に立てることがあればいいなと思っている。

前置きが長くなってしまったが、
このように自分をどう表現していくかを高校生の頃から具体的に考えていた。だから昔から周囲の友人に、こうなりたい、とか、これやりたいということを言葉にしていた。

最初の質問に戻ります。

「なぜいくつもの地域活動や環境に対するアクションができるんですか?」

とても単純なのですが、元々を辿れば、

雪がとても好き
乗鞍がとても好き

ってことです。

僕は物心ついた時から、雪が大好き人間でした。

4歳くらい?笑

千葉県佐倉市出身。この佐倉というところでも小さい頃に、毎年1度は必ず雪が積もっていた。積もらないけど雪が舞うという現象で言えば一冬で5回くらいはあったと思う。僕は物心ついた時にすでに冬のシーズンは毎日天気予報をチェックしていた。18:53から始まるNHKの天気予報を見るのは毎日の日課。雪予報が出だら、時間を気にせず、カーテンの外の窓を眺めていた。学校にいる間に雪が降るとなったら、僕は授業には見向きもせず、ずっと窓の外を眺め、降り出す瞬間を見つけて、「あ、雪だ!」と一番はじめに言うことに神経を尖らせていた。

小学校1年生の頃、ソリが欲しくて、100枚くらい「ソリ買って」と紙に書いて家中に置いた(笑)その情熱に観念したのか父が青いソリを買ってくれて、それから中学1年まで雪が積もれば1日中ソリ遊びをして、夜もずっと散歩している不思議な少年だった。

真っ白な世界になぜか心が惹かれ、真っ白な世界に行くと安心する。
実は寒いのはとても苦手なんだけど、寒さを感じながらも、音を吸収し、無音の世界が僕は大好きだ。理由を聞かれてもこれ以上述べることはできない。ただただ、自分の心が求めるから。

しかし、小学5,6年か中学2年か、は忘れたが、(中1で友達とソリで1日中遊んだ記憶があって、中3は受験の日に雪が降った)全く雪が降らない年があった。雪が舞うことすらなかった。とても残念な気持ちとなんで降らないんだ?という疑問が僕の中で湧いて、地球温暖化という言葉を知ることになった。ちょうど中2だったと思うんだけど、その時に気候変動枠組条約締約国会議(COP3)が京都で開催され、京都議定書が締結された。社会の授業で、この京都議定書を自分でまとめた新聞を作り、とても熱心にまとめた記憶がある。高校受験のテストでも必ずと言って良いほど社会の試験問題に出てきた。

環境問題に何かしらアクションを取っている同世代の1982, 83年世代に出会うことが多いんだけど、京都議定書のインパクトがあるんだと思う。

僕は京都議定書で世界が地球温暖化防止に向けて取り組み、温暖化は解決されていき、千葉にも雪が降り続けるんだろうなって期待していた。が、、、大人たちは課題を先延ばしにし続けた。

雪への興味は高校になってからも薄れることはなくて、高校1年の時に雪が降った時は始発で学校へ行き、友人2名と朝6時には学校で遊んでいた(笑)。大学生になっても雪の日の徘徊は続く。ちなみに今の雪国乗鞍でも雪予報の日は一日に何度もレーダーをチェックしています(笑)

温暖化という現象と天気予報への興味から気象学という学問に関心が移り、高校1年の冬から気象学を学べる大学を探し始めていた。気象を専門にした研究室は今でも言えるくらいで10くらい。気象学の講義がある学校は全国の大学で20くらいだったと思う。そしてそのほとんどが国立大学だった。高校は中の上くらいのレベルの学校で国立大学に行けるのは過去3年で毎年5人ほど。家計の状況的に国立大学以外の選択はなかったし、浪人もできないので、僕は高校2年生の頃から受験を意識し情報収集を始めていた。それでも本格的に受験勉強を始めたのはやはり高3の夏だった。

前期で筑波大学を受けたが撃沈。
後期の新潟大学理学部自然環境科学科に合格。

大学時代は自分の好きな環境科学全般の学問を学べることへの喜び、そして雪国生活を楽しんでいたのもあったが、次第に現実とのギャップに苦しむようになる。何かしたいけど何もできない自分。もっとインパクトのあることをしたい、もっともっと行動したいけど、何からやって良いかわからなかった。

大学3年生になり、進路を意識し始めた時に、研究職はないと思った。お金がなかったので自分でお金を稼ぎ一人前になり自立したいという気持ちが強かったし、研究者にも憧れを抱けずにいた。しかし、僕が働きたいと思うような企業も全然なかった。なので僕はマスコミ(テレビ)の世界に入って、環境啓発番組の制作や環境問題の現場の取材をしたいと思うようになった。

当時マスコミは早いところで日テレが大学3年の8月から採用活動を始めていたので、僕は大学3年の夏から就職活動を開始した。合わせて大学2年から気象予報士の勉強も始めていた。

アルバイト、予報士の勉強、就活のためのSPI、一般教養の勉強、大学も3年になると実験などの課題提出なども増え、自分を追い込んでいたのもあり、そして、マスコミから悉く落とされ続けていて、精神的な余裕もなくなり、僕は帯状疱疹になった。それが学科(一般と専門)をクリアして望んだ気象予報士の実技試験の1週間前で高熱になり寝込む。試験当日はなんとか会場に行けたが、不合格。挫折。もう一度学科試験からやるモチベーションは無くなった。

氷河期最後の世代、そもそもマスコミなんか地方テレビ局でも1000倍以上の倍率で、僕みたいな、「環境」「環境」言っている人間が今思えば採用されるわけがなかった。色々否定されて途方に暮れる日々。

そんな中、盲点だった会社を姉が教えてくれた。
それが民間の気象情報会社ウェザーニューズだった。

これだけ気象のことが好きだったのに、当時ベンチャーだったウェザーニューズの存在を僕は知らなかった。会社説明会で運命的な出会いを果たしたと僕は感じた。会社の経営理念、サービス、実力主義、など全てが自分に合っていると思った。そして僕は内定を頂くことができた。

大学4年になり、僕は雪氷学研究室に入った。
その研究室はある意味職場だった(教授陣のためのデータ整理など)けど、僕はそれでも楽しかった。積雪期の盆地冷却現象というテーマで1年研究し、4回生ながら雪氷学会でも発表し、卒論のポスター大賞を得た。これらも結局はやりたいことの自己表現という形で整理ができていたから夢中だった。

なお、僕は大学2年の夏休みに、この乗鞍に近いさわんどの温泉宿でリゾートバイトをしてこの地に運命的な出会いを果たしている。

そして、ウェザーニューズでの10年。
自ら営業・マーケティング職を希望し、企業に提案型の営業をしていくことになる。
ど直球に地球温暖化に向けた取り組みではなかったが、災害での被害を減らす減災、船舶の安全性を高める情報提供、燃料効率の高い航海支援、電力需要予測、鉄道の運行マネジメント、高速道路のマネジメントなど気象情報を通した安全性の追求、効率化などはとても面白いし、間接的にロスミニマムなどを通じて、地球温暖化防止へのアクションに繋がっている実感があった。仕事は最高にやりがいがあった。

なので僕は労働時間という概念は一切なく、仕事を全て自己表現の場という認識に立てて取り組めていたのでとにかく結果を出したっかった。実際、自分が提案したサービスが全世界の海運会社に広がったりして、役に立ててる実感もあったし、目の前のお客様と一緒に課題解決に取り組むことが楽しくて仕方なかった。

しかし、僕の自己表現はウェザーニューズでは満足できない時がやってきた。
創業者が亡くなり、入社当時のベンチャースピリットが会社全体から少し薄れつつあり、なんとなく10年後にやっていることが想像できてしまい、そこにワクワクする自分がいなかった。様々な節目が重なったこともあり、僕はウェザーニューズを卒業する決断をした。

もっともっと、自分にできることがある。

そして僕は学生時代からの夢の一つであった温泉宿をやろうと決意した。

これももう一つ多い質問で、「なぜゲストハウスを始めたんですか?」とも聞かれるんだけど、宿がゲストハウスという形態を取ったのは手段であって、僕は現代版の湯治宿をを作りたいと思っていた。このことも何度も昔からブログなどで語っている。

7年目に入ったが、ようやくそれ(現代版の湯治宿)が形になってきた。
そして、宿も少しずつ環境配慮型の宿、新しい旅を表現する宿になってきた。元々旅館でハードが決まっていたことと、まずはビジネスを軌道に乗せることを優先していたので、なかなか理想に向けたアクションは取れなかったが、コロナ禍は様々な変化のチャンスを与えてくれ、僕を理想に突き進ませる原動力となった。もちろんまだまだ矛盾を抱えているところも沢山あるけれど。

2019年には、GiFT NORiKURA Gelato & Cafeというサステイナブルアクションカフェをオープン。こちらは店舗オープン時から、もちろんまだまだ理想には遠いが、地域も自然も持続可能になるようなカフェにしたいと表現した。以下の二つの記事も参照。

その取り組みが評価され当時環境大臣だった小泉さんと松本市長と環境省の中部山岳国立公園事務所長との対談も実現した。

2021年春には、地域の皆の意識がのりくら高原ミライズという地域ビジョンで共有されたこと、そして環境省が中部山岳国立公園南部地域にフォーカスして、この乗鞍高原をゼロカーボンパーク第一号に登録された。

今の僕の目の前には、ずっと想い続けていてなかなか直接できなかった僕が人生をかけて取り組みたい、表現したかったことのチャンスがとんでもないくらいに広がっていることが、ここまで読んで頂けたら理解頂けるのではないでしょうか。それが昨年書いた以下の記事に書かれています。事業計画とは自己表現なんですよね。

そして、僕はこの7年で乗鞍が本当に好きで、恋をしていて、愛しちゃってるんです(笑)
これはこれだけでブログがとんでもなく書けそうなので、割愛しますが、なので人口減少・高齢化・環境変化など地域を取り巻く課題に対して、持続可能な乗鞍地域を目指していくことに、自然と行動が伴います。その表現の一つがサステイナブルツーリズムでもあります。

中学生の頃から興味を持ち取り組みたいと思っていた地球温暖化、及び気候変動に対するアクションは、今、脱炭素ドミノの最初の一コマになろうとする、ゼロカーボンパーク第一号に登録された乗鞍高原を名実共にゼロカーボンパークにすること=自然と共存した乗鞍らしい持続可能な地域作り=主要産業が観光業である国立公園の乗鞍をサステナブルツーリズムの魁にすることになっています。

もちろん、誰かのために、とか、世の中の役に立てば、地球のために、という気持ちもありますが、これらのアクションは僕にとっては自己表現の手段。そして、仲間との表現の手段なんですよね。

元を辿れば、ただ、美しい雪景色を見続けたいと願う気持ちを表現していること。
運命に導かれた乗鞍にあるRaicho Incという会社を表現すること。

これは取材ではないですが、さらに昔からもう一つよく周りから言われることがこれ。

「仕事が好きなんだね」

これ言われるとめちゃ違和感を覚えるのでこのブログ読んだ人は辞めてほしいです(笑)

あ、その目線で見られちゃうんだなって思います。

間違いではないけど、ぼくはただ、自己表現している。好きから見つけだした、自分の命をどう使うかという使命と役割を自己認識してるから、仕事っていうより、それが僕の人生、生きるということ。仕事が好きっていうより、毎日自己表現しながら自分の人生を生きて楽しんでいるんです。そして理想に向けて使命と役割を少しでも果たせると喜びを感じます。

ただ、最近、僕の自己表現に周りを巻き込んでしまって迷惑かけているところもあるので、巻き込まれたくないなら距離を置いた方がお互いのためだし、安易に近づくと熱量がありすぎるので火傷します。
一方、志を共にする方との出会いは求めています。一人でできることは限られていて、志を共にする方とのアクションが必要だからです。

自分に向き合い続け、僕は誰かと比較する必要のない、自分の人生の道をしっかり見据えています。その道を自分なりの表現をしながら歩みたいと思っている。だから行動するんですよー。

自分と向き合うことはもはや癖なので、山登りや特にロングトレイルが好きなんです。一人で歩くロングトレイルなんてずっと自分と向き合ってます。その結果、人生の進む方向がクリアで迷いはないので、色々やるのでしょうね。疲れはたまにありますけど(笑)

アンナプルナサーキットトレイル 2019年11月

もしですが、これを読んでいる方で、迷いがあるのであれば、「歩く」という行為、ほんとオススメです。それもロングトレイルです。1週間とか一人でテント担いでぶっ続けで歩いてみてください。人は歩く生き物です。

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